サブタイトル。
どうしようか迷っているところ、それがガールズカルテット第五章。
さてさてー。どうしたもんんかと。
第一部は書き上げたけど、章のタイトルが決まってなくて投稿できないジレンマです。
自分のネーミングセンスのなさが今まさに恨めしい限り…
話は変わって、ssバトルの締め切りが近づいてきてるのにまだ構想が出来てないです。
どうしたものかと。これは。
それなのに長編連載の構想がじわじわ出来上がっていることが、さらに気がかり。
考えてるわけでもないのにアレよコレよと沸いて出てくる発想を、必要な方へ移せたらどれだけ救われることやら。
話題は執筆方向にどんどん傾き、進行していきますが、最近自分の文章に違和感を感じ始めました。
自分で書いてるのに、自分で書いてないみたいな、自分が書いた文章なのに読み返すと誰かが書いた文章みたいな感覚ですが、そんな直に西尾維新を読み始めたのは愚考だったかもしれません。尋常じゃなく文章が喰われているのではないかと考えると、恐ろしい限りで。
問題は例の次章、その一。
今、なろうの新規執筆小説として眠っていますが、その内容が異質。
ただの勘違いかもしれませんが、知らぬ間に人の文章を借りて(パクッて)書いているとしたら、救いようが無くヒラギのトラウマが蘇ることを必至です。
現在、きみぼく読了。クビキリサイクル進行中。
影響を受けて、それで擬似的にでも能力が飛躍するなら嬉しいことなんですが、影響を受けるだけ受けて人の文章しか掛けなくなってしまうなら…そんなのは文章力とはいえないですから、そこが怖いところ。
物語の話。
物語の見せ場により盛り上がりを付けようと思ったら、そこに至るまでの経緯として一番効果的なのはやっぱり伏線だと思います。
で、これについて深く考えてみました。
大きく分けて、伏線は二種類あると思います。
一つは、今後の展開を予測させ、先に謎を提示し興味を惹かせる伏線。
一つは、その存在自体に気づかせず、それが明らかになるのは伏線が伏線として機能した後、という伏線。
一つ目は、つまり「これは何かあるな」と思わせておいて、「ああ、なるほどそういうことか」という風に読者に認識させる効果があって、トリックを仕掛けておいて、その内容を後から明かすということ。
二つ目は先に仕掛けておいたトリックを後になって起動させるということなんですね。
明らかな、カタチとして。
カードゲームを引き合いにするなら、前者は伏せていることが相手にも解るトラップカード。後者は発動後でなければその存在を気づかせないトラップカード。
どちらがより重要かと考えると、比べるまでも無いんです。
どちらというわけでなく、その両方を上手く使い分けられる技術が重要なんです。
個人的には、難易度としては後者の方が仕込むのは難しいと思うんですけど。
とまあ、そんな話でした。