入学式が明後日に迫ってきましたー
じ、実感が無い……
まだ中学の制服は部屋につってるし、教科書とか開いてないし。
宿題終わってないし(どーん
さてどうしたものか……入学の準備が全然済んでいない……
まあ、そんなどーでもいいことは置いておきましょう。ここで書くことじゃないです。
何より、今の俺は某国のミサイル発射さえ笑って見過ごせるほどの寛大な心を得たのだから。
でもやっぱミサイルはよくないです(汗
国連、とっとと連中を駆逐しろ。
ところで最近よく、「萌え」についての記事を目にします。
昨日なろう秘密基地にて、
「皆さんの萌えとは何か教えてください」
というスレを発見しました。
言われてみれば難しいテーマです。
人によってそれは千差万別するモノですので。
私が思うに「萌え」という要素は凡そ一般人には敬遠されるモノだと思っています。
何かにつけて「萌え」という言葉には嫌悪的なイメージが付きまとう現代ですが、
曰く、「萌えとは好きの最上級だ」と明言しているサイトがあります。
権威あるサイト様であるために、知っている方も多くおられると思いますが。
私もその記事を見るまでは、萌え=現代の汚物、という方程式をどうしても持っておりました。
当時物書きを始めたばかりの私は、創作においていかに「萌え」が重要かを知りませんでした。
好きの最上級。そう、最上級です。
つまり、Dearest、Lovest、likest、most lover(何か全部違う気が……
個人的な意見ですが、現代において萌えという言葉が嫌悪される理由はいわゆる「オタク」にあると思います。
こんな事を言うのは失礼なんですか……。
もっとも、私は世間的に「オタク」とか言われる人々をそう悪くは思っていません。
むしろ何かに積極的になれる、という点では尊敬さえもしています。
一途なまでに何かを愛することが出来る。それは支配や争いの耐えない廃れた現代で最も重要なことだと思っております。
では何故冒頭のような意見を持つのか。
それはやはり、アレ、です。
「萌え」という言葉を連呼し、フリフリのメイド衣装を着たアルバイトの女性に尻尾を振る姿は、確かに反感を買うでしょう。
萌えとは無意識かに働く深層心理であり、「嗚呼、なんかいいな、これ」と思うことなんではないでしょうか?
勿論、対人愛における「好き」という感情は深層では「愛」という言葉に直結するわけです。
では、三次元における「萌え」とは結局俗物的な創作物に対して向ける、どこか遠い…というよりも一枚の透明な壁を隔てた「好き」という感情な訳です。
「俺、おまえのこと好きだけど、それだけだから」
どこかの恋愛小説ならばツンデレ的な名言にもなりえるかもしれません。
しかしながらコレが現実では、はあ? てめえ何言っちゃってんの? てか殴っていい?
と、こうなる訳です。
そうなると彼らの「萌え」という口に出した「愛」は、そこで死んでしまうわけです。
一般社会人はそれを無意識に感じ取り、愛の安売りを行うオタク的人種を嫌うのではないか、というのが私の考えです。勿論、客観的な先入観だけで否定する輩もおりますが。その場合、私に言わせればそういう連中の方がよっぽど程度が低いです。
人を外見で判断するなあああ。ですね。
さて、話を本題に戻します。
では、萌えとはどういうことなのか。
物語における萌え、とは何故重要なのか。
それはやはり、物語はどこまでいっても創作であり、二次元として絶対に手の届かない領域だから何です。
先ほどの言葉の通り、「萌え」とは一枚の壁(ガラス)を隔てた最上級の好意感情なんです。
ならば初めから「物語」という壁の在る小説や漫画やアニメなら、その感情は本物になります。
自分から距離を置き、壁を作る三次元の「萌え」は確かに偽者染みていますが、
自分から距離を縮め、壁を取り払おうとする二次元の「萌え」は本物です。
過度なそれは勿論アブナイ人ですが、通常ならばそれはそれ、これはこれと割り切れます。
ならば純粋なキモチで登場人物を愛でる「萌え」という感情は、ここに一つのアクセサリーとして物語を引き立てます。
物語はやはり登場人物たちの人生なんです。
ならば、その登場人物たちを読者が真に愛することが出来れば、それは物語を愛することに直結します。
この主人公が好きだ! このヒロインが好きだ!
だからこそ、ハッピーエンドを期待する。だからこそ、応援したくなる。
それは読者を引き込むと同時に、物語へ感情移入しやすく、より物語を楽しむことができる要素となるのです。
先日の記事ですが、私が主人公が嫌いな作品は見ない、と言った理由はそれだったりします(後付)
もとから手が届かない領域だからこそ、そこに近づこうとして真剣に捕らえる。
これは二次元だからこそ成し得るパラドックスであり、そこが二次元が三次元に勝る一つの要素であると私は考えます。
故に二次元の物語は人々を魅了する。
さてさて長ったらしく語ってきましたが、結論として述べますと。
「萌え」とは物語の中のスパイスであり、決して否定できない重要要素である!
ということです。
当然、「萌え」は人の内側から発生する感情ですので、こちら(作者)側から操れるモノではありません。ただ、それを誘発する衝動を作者側(物語)から与えることは出来るのです。
それが私の考える「萌え」です。
はい。顔見知りの友人には見せられない講義が終了しました。
人生経験の浅い小僧が、愛を語るとは何事か(英雄王の雰囲気で)
これ、そのままエッセイの短編小説に出来るんじゃないか? と思っております。
小学生のときは読書感想文とか超苦手分野だったんですけどね……
さて本題です(え、今更?
前回の更新で「ブログ仲間が欲しいなあ」とか甘ったれた発言をしていましたが……
なんと、それを真摯受け止めてくださる方が2名もおられました!
蜻蛉さん、静波さん、非常にありがとうございます。
お二方は共に私の尊敬する作家様であり、どちらもいつプロの世界へ旅立ってしまっても可笑しくないと思っております。
そんな偉大なる先人にして人生の先輩が、こんな至らぬ輩にリンクを結んでくださるなんて……!
一瞬夢かと疑いました。瞼を引っ張りました。痛い……(涙
こんな風に他の作者様と交友するのは初めてですので、至らぬ点が多数存在しますがお二方、どうぞよろしくお願いします。
吸収できるところはどんどん吸収して、自らの糧にしていきたいと思っております。
小説の話。
最近執筆が進んでいない。
暦とか暦とか暦とか。
2部の更新で「日常で交わす最後の会話」とかどっかの主人公がバカなことを仰った所為で、こちとら章の主役をどうやって物語りに参加させるか苦悩してんだよ、バカたれ。
で、それなりの解釈を自分なりにつけて、それが読者にも伝わるように現在プロットを見直しています。
ブログは頻繁に更新してんのに、そっちが追いつかない。
最近思ったのですが、ガールズカルテットて、
ヒロイン……定まって無くない?
空が書きやすいからついつい登場させすぎてしまう! てか、流深の出番がねえ!
……まあ、こんなことは言っちゃいけませんが、本作のヒロインは読者様の主観にお任せします(自暴自棄
あ、いえ、冗談ですが。
では、長いときはとことん長い双色の更新。今日はここまでで。