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机上の戯言小説が趣味な管理人のブログです。
2009.04.30 Thursday
いまさらかもしれませんが、俺って精神病んでるのかなぁ、とつくづく思うこの頃です。 COMMENT
どうも、こちらではお初です。
SS企画の時にお世話になりました、阿武都です。 ちょっと前まで高校生をやっていた俺が言うのも何ですが、中・高校生っていうのは色々と多感な時期ですからねー。特に自分も含めて、変に物書きなんてやっているような人って、「俺精神病んでる」とか思ってしまうことも良くある話なんです。私なんて、一時期は周りとの軋轢もあって、しょっちゅう「死にたい」なんて思っていたり、呟いたりしていたくらいでしたから(汗)。 ある程度、自分という人間に対して開き直ってしまうことも大事ですよ、本当に! それにしても、恐ろしい文章量ですね……! 双色さんの年でそこまで書ける人は、そうそういないと思います。純粋にすごいなあと思います。ち、超が付くほどの遅筆家な俺も見習わなくては……! んー、エンドのことに関して。日記を見る限りではもうある程度分かっていそうですが、老婆心で少し長く語ります。うざったかったらスルーしてもおkです。 確かに、ハッピーエンドで終わった物語のその後はどうなんだということは、良い意味でも悪い意味でもよく空想されることです。例えば、日記にも上げられたシンデレラ何かは、結構悪い方向に空想されたりしますよね。別にそれ自体は、そんなに悪いことじゃないと私は思います。想像それ自体には、何の罪もありません。 しかしじゃあ、いくらそういう未来が想像されるからといって、最終的にそこに行き着いたところで物語を終えるべきなのかと言うと、もちろん違いますよね。 何故か。それは、あるいは日記で言う所の『真の絶望』で終わってしまうかもしれない『現実』とは違い、小説などの物語は『現実』ではないからです。 と、こういう言い方をすると「現実じゃなかったら下らない理想を書いてもいいのか!」とか「そんな空想なんて現実では何の意味もないじゃないか!」とかいった意見も飛びそうですが、そうじゃないです。 物語としての空想とは、現実に立脚した空想なんです。 つまり全ての物語は、その物語の中では立派な現実であり、そして『現実である』という一点においては『我々』の現実とあまり大差がないということなんです。それはファンタジーであろうがSFであろうが、実は変わらないことなんです。その証拠に、ほぼ全ての物語において描かれるものは『我々』とその根底は変わることのない人間、あるいは多少なりとも人間を感じさせる生き物であり、その行動もほぼそれに準じているものであるはずです。よって物語に書かれる空想とは、現実にありえたかもしれない空想、現実であっても決しておかしくはない空想なんです。あるいはそれは、『理想』や『願望』と言い換えられるものかもしれません。 上記した通り、多くの物語と言うものは現実に立脚していますし、多くの場合そうであるべきなのです。しかし、だからと言って決してそれが現実そのものではないということを、物語の書き手は理解しておくべきだと思います。想像をする側の人間であるはずの書き手が、現実という枷にしばられない為にも。 だからといって別に、小説において『現実』を書くことを否定する訳ではありません。確かに、そういうやり口があることも事実です。例えば自然主義とかですね。私も、どちらかと言えばそういう傾向の小説を書こうとしていた人でした。しかし、せっかく現実を相手にした『空想』を物書きはやっているんです。そう思うと、神様気取りというと流石に言いすぎなんですが、自分が良いと思うような空想――さらにいうと自分『達』が良いと思うような空想を書くほうが、気分が良いんじゃないでしょうか? 大事なことは、より良い理想に向かおうとする精神をキャラクターに持たせることと、作者自身がそれをしっかりと持つことなんだと私は思います。それはハッピーエンドで終わる話はもちろんのこと、仮にバットエンドに終わるような話であったとしても、そこだけは決して変えてはならないことなんだと思います。 具体的な方法論として、例えば日記中でいうところの『真の絶望』に至るかもしれない可能性を丸投げして『めでたしめでたし』と収める、というのも確かにありです。が、少なくともそれを自覚している書き手としては、あまり気分が良いものではないかも知れません。 そこで私が提案したいのは、いっそのことその『真の絶望』を作中で書いてしまうというものです。と、もちろんそこで終わってしまっては何の意味もないですよー。私が言いたいことは、そんな絶望は作中で決着をつけておけばいいじゃない、ということです。 これは『自分が何を書きたいか』ということにも関わってくるのですが、多くの場合『絶望』とはとてもとても嫌なもの、乗り越えたいものであると思います。そこのところ | 阿武都龍一 | 2009/05/02 3:04 AM |
と、途中で切れてしまった(汗)
どんだけ長く語ってるんだよ俺……。 という訳で、続きですー。 これは『自分が何を書きたいか』ということにも関わってくるのですが、多くの場合『絶望』とはとてもとても嫌なもの、乗り越えたいものであると思います。そこのところを自覚してるんだったらもういっそのこと、『現実に立脚した空想』である物語で決着をつけちゃいましょうよ、という話です。多くの場合、そのほうが自分『達』にとって清々しいものであるはずです。 まあどう決着をつけるにしても、中途半端にくすぶるのは決して良くないです。どんなエンドに落ち着くにしても、理想に向かおうとする精神を忘れないこと、ですね。 ……とまあ、初書き込みであるにも関わらず、変に熱が入ってしまって無駄に長く語ってしまいました。それでいて意味不明だったら本当に申し訳ないです(汗)。 それでは、こんな輩でよければ、今後とも長くお付き合いの方をお願いしたく思いますー。 | 阿武都龍一 | 2009/05/02 3:06 AM |
厨二病の産物ですw
昔は早く執筆しないと気が済まないという謎の衝動に囚われていました。 ちなみに文字数は膨大なだけで、必要の無い文章を省けば一気にダイエット可能です。 ヒラギなんてもう、20万文字から10万文字ちょっとまで削れますからww 今から反省しているのはあのエンドなら棺木登場までの流れは一切省いて問題ないくらいですから。 コメントしてくださりありがとうございます! 今後ともよろしくお願いします。 | 双色 | 2009/05/02 8:28 PM |
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